【思考log】言語化ができない

log思考

改めて、頭の中の考えを言葉にすることの難しさに直面している方に出会う。
このような人の特徴として、頭の回転が早い人が本当に多い。

頭の回転が早いことと、言葉にして発することが
アンバランス状態にあるのだ。
だから逆に「私は頭の回転が遅い」と思い込んでしまう。

頭の回転が早いから色々考えてしまうし、
それが発散されないままだから
もやもやしてしまったり、
相手に共感できなかったり、
論争に取り残されたり、
もうそれでいいやと妥協を覚える。

一度言語化に本気で取り組んでみると良いのだ。
そのスタートは自分の事から始めると良い。
自分が何に感動したのか
何に感銘を受けたのか
何でテンションが上がったか、下がったか
何でやろうと決めたのか
何でやめようと決断したのか
それら全て事象の何故を言語化してみる事だ。

根本要因は自分にしかわからない事だから
言語化した言葉がフィットするのか
気持ち違うな・・と感じるのかもすぐ分かる。

自分の気持ちの変化を言語化うまくできるようになると
それは発信する自信にできる。

言語化できるようになって、
頭の中を少しずつ第三者にアウトプットしてみると良い。

その小さな一歩がきっと次の景色に繋がっていく。









【思考log】そうだ、本を読もう

log思考

そろそろ忙しくもなってきて
土日も時間確保が難しくなってきたので、
1日1logの自分ルールを崩そうかなと思ってる。

ルールを変えるのは別にどうでも良いのだけど
この「思ってる」が実は僕の弱点だなと言う話。





人間って決断の連続の中で生きている。
朝何時に起きると決断したり。
歯を磨くか、先にトイレに入るか決断したり。
そのドアを右手で開けるか左手で開けるか決断する。
他にも朝ごはん、着ていく服。などなどなど

こまかな決断はルーチン化、習慣化しているものと、
そうでないものとに分かれる。
ジョブズが洋服の決断を捨てるために
同じタートルとジーンズとニューバランスを履いていたのは
とても有名なお話し。
それに近しく、いろんな決断を捨ててる
ミニマリストなる生き方も現在は提唱されている。
(ちょっとニュアンス違うかもしれないけど・・・)

でも僕も実際それに近いかもしれない。
パンツシャツ靴下は決まったものしか履かない。
毎朝のYシャツは並んでいる順に着るし
同じジャケットパンツを複数持ち洗い替える。
お昼は曜日毎に決まったものしか食べないし。
持ち物はできるだけ極小化したい。
持ち物の色も迷いたくないから黒で統一するし。
普段着は全て同じメーカーで揃える。
(1年に2回くらいしか買い足さない)

なんか、こだわりの無い人間のようだが、
それをこだわり持ってやってる(笑)





では、人はそもそもなぜ決断を捨てるのだろうか。
おそらく決断というものにストレスを感じるのだろう。
と言うことは人は決断したくないのだ。

ではなぜ決断したくないのだろうか。
失敗するかもしれないから?間違いたくないから?
責任を負いたくないから?
結局のところ自分のせいを作りたくないから?
それが楽なのだろうか。
僕は楽をしたいのだろうか??


生きていく上で決断とは切っても切り離せないし、
人は否応無しに決断をし続ける。呼吸みたいなものだ。
であるなら、どうせなら楽しんだ方が良いのではないか?
楽しめる要素は無いのか?とも考えたい。
嫌だ嫌だで逃げ続けると、いざ決断しなくちゃいけない時に
パフォーマンスが悪くなりそうだし。

だから、どうせなら日頃から
こうしようかなと思ってる
ではなく、
こうしようと決めた
と言える状況を多く作っていこうと思う。

普段から自分の人生の結果を人のせいにしたくない
と思っているのだから、
自分のことは自分で決定していくのだ。





と言った理由で今回も決断して、
そろそろ1日1logを変えてみる。
まず丸々2ヶ月間くらい1日1logやったし。
良質なアウトプットは数じゃないしね。
・・・とか言い聞かせながらw

でも、本気で思考のアウトプットをしようとすると、
情報のインプットも欠かせないと思ってきた。
前述した時間の確保で言うと、
これを打ち込む時間を捻出するために
最近読む本の数が減ってるのだ。うーん。

インプットしまくって
アウトプットしたい思考までブラッシュアップして
しっかりトレーニングしていくとしよう。
人に会い
本を読み
旅に出る
そうやって決断しながら人生を豊かにするのだ。











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【思考log】目標はカタチよりも結果よりも瞬間

log思考

目標には形あるモノと
形のないモノが存在する。と
あるプログラムの教育を受けたことがある。
目標は有形であるのか無形であるのかと言うことだ。

形のある目標とは、到達点が明確なもの。
・車を買う。
・この役職に昇進する。
・どこどこに旅行にいく。
・なんキロ痩せる。
など

逆に形の無い目標とは、到達点が曖昧なものだ。
・格好良い人間になる
・人に好かれる存在になる
・時間を有効に活用できるようになる
・説得力のある話ができるようになる
など
何を以ってそうなった、そうであると確信が難しいもの。


僕は長く、有形の目標をあまり持てない人間だった。
何が欲しい、これになる。などといった明確なモノがなく、
こうありたい、このような人間になりたい。
と言う曖昧な無形の欲の方が強いのだ。
※決してマイノリティでは無いと思うのだが・・・

その弊害をあげるならば、
自分ができているのかできていないのか、
よく分からないところだろう。
「よくやった!」と自分自身を、
どの時点で誉めれば良いのかが分からない。
だから、やっている事や考え方が正しいか間違っているか、
そういった事が分からなくなるし自信もあまり持ちにくい。
というか、自信を持てる根拠を有していない場合が多い。

ただ僕としては・・・それは決して苦でもなかったと思う。
今となっては逆にそれが自分らしさだとも思ってる。

ちょっとした例になるが、
僕は座右の銘というべきか、
大事にしている考え、言葉が2つある。

✔︎昨日を後悔せず、
今日に必死にならず、
明日を夢見て今を生きる。

✔︎自分の人生の結果を人のせいにしない。


でも、この言葉に対し、
では、何を以ってそのような人とするのか?
そういった証明は正直難しいものだ。
なので気付く。そうか!僕という人間は
到達点の証明をそもそも必要事項としていないのだ。と
自分が「そうなってるなーっ!」
て思える瞬間があればそれが良い。
と考えて生きてるのだ。
そんな開き直りのような自信でなんとなく
大怪我せずに人生を進んでこれている。







そして最近はそんな僕に、
いよいよ有形の目標ができてた。
しかもそれがそろそろ叶いそうだと言うところ。

無形の目標への到達感は
今のところ明確になって無いと思うし、
もはやそれを渇望している訳でもないのだが、
有形の目標を達成した時、そうなった時に
どれだけの到達感と言うか、達成感やってやったぞ感
そういったものが湧き上がってくるのだろうと、
考えれば考えるほどワクワクしてしまう。

その瞬間の自分が楽しみでならない。
そして、そんな楽しみにしている自分は嫌いじゃない。

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今回は思考の話なので、
そのような考え方をlogに残す事にする。

目標のカタチが無形のものであっても有形のものであっても、
それを手にした結果や手にした事実(事象)に一喜一憂する事なく、
その瞬間を誰よりも楽しみにできる、
そんな思考を持ち続けておきたいと思う。

目標というのはカタチよりも結果よりも
その瞬間が醍醐味なんだなと本当に思うから。











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